ニートがわがまま綴ってんだ

それでもしぬほどわがままさせてくれ

一日何回書いたっていい(二年前に下書きしてたやつ)

友達に、読書家が多い。 自分はあまり小説を読まないから、濃厚な文章も書き起こせない。ブログを逃げのツールにしようと思ったのにうまくもいかないでも読書したくてもその気にならない。それでもブログを書きたいから書く。 小さい頃から、自分のやりたくない事から逃げまくってた。なぜならとてつもないストレスになるから。 小学校低学年のときは不登校だった。当時、毎朝毎朝、目を覚ましているのに寝たフリをしてた。親に何回も怒鳴られ叩かれ呆れられ、それでも寝たフリをしてた。泣き虫だったから叩かれながら泣いてた。

しばらくして、家のチャイムが鳴る。 登校班の生徒たち。俺が定刻に集合しないから、毎朝毎朝チャイムをならしては 「○○くん、まだですか」 と言うのだ。 母親がごめんなさいね先に行ってていいよとみんなを送った後、何事もなかったかの様に起きて、リビングに行く。

自分で登校班の生徒に先に行っててなんて恥ずかしくて言えなかった。

リビングで母親は俺に気付くと、うなだれた表情で俺と目を合わせる。 目を合わせられるのは秒数にすればほんの2秒くらいだ。俺は2秒後にうつむいてしまうから。しばらく沈黙が続くと、打開策が見つからないのか俺を放置して家事にとりかかる。ホッとする気持ちとどうして良いかわからない気持ちが溢れて、部屋に戻って泣く。 これがいつものパターン。この他にも一旦登校したと見せかけて窓から戻って押し入れに隠れたり、仮病つかったりしてた。 その後、3年生に上がってから不登校児童ではなくなった。なぜならその年から新しい道が開通し、学校に行くまで10分ほどしかかからなくなったから。

不登校の原因は、つまるところ馬鹿げているけど登校時間の長さだった。 登校時間の短縮によって学校が「行くのが面倒な場所」から「行ってもかまわない場所」になっただけ。

そういえば3年生当時の担任が母に我が物顔で、わたしが彼を不登校から復帰させた、という旨の話をしていたのは笑ったな。工事のおかげなんですよ先生とは言わなかったが。

元々イジメられてもいないし、友達も普通にいたから、それからは毎日楽しく学校に通った。太っていたので体育は大嫌いだったけど。高校まで、サボり癖、遅刻癖はあったものの通った。でも大学は中退した。 たぶん友達がいると通えるんだよな。でも会社って同僚しかいないじゃん。

それからフリーターを繰り返して現在ニートになった。フリーターを数年やってみたところ、働くことが大嫌いになった。出すストレスと入るストレスの均衡が崩れる。

職場というものは、行ってもかまわない場所ではなかった。でも、働かないと生活できない。知ってるよ両親にも悪いと思うよ。でもなぜなんだろう。なぜ悪いと思っているのに働きたくないのだろう。この2つの葛藤、あの頃と一緒なんだよな。社会不適合になっていたんだったよもうあの頃から。

前に、怖いけど自殺してみようかな、と思ってベランダから飛び降りようとしたことがあったけど足をベランダの手すりにかけると、とても怖くて、心の底から死にたくないと思った。生きたいでも働きたくない。だから、生きる権利をなくしてる。でも、生きたいわがまましたいんだ図々しいから、時代が時代なら、社会に殺されてるはずだけどなんか生かされてるんだよ。もう病気みたいなもんだから自分自身の力で治さなきゃいけないのも知ってるんだ。全部知ってるんだよおれは。